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なりたとっぷろおどの鬱な日記

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同じ人がスレ立てしたスレ:ステイゴールドの黒い日記帳
くろふねの泥舟どんぶらこ日記   


 


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なりたとっぷろおどの鬱な日記 の出演馬&出演者のその後。


ナリタトップロード
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%BF%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89
社台スタリオンステーションに種牡馬として繋養された。2005年2月に膀胱結石が見つかるが、種付けを優先させるスタリオンの方針により、種付けシーズン後まで根本治療は見送られた。シーズン後ようやく手術を受けるなど治療を受けていたが、11月7日午前1時に心不全のため、3世代の産駒を残し、奇しくも菊花賞で悲願のGI制覇を成し遂げた6年前と同日に死亡した。

代表産駒:
ベッラレイア・インパーフェクト・ニックバイエフオー
エーティーボス・ナリタトルネード・コスモピロリなど
エリモハルカは沖厩舎に所属し渡辺騎手で3勝しています。
ニックバイエフオーがおそらく唯一現役の馬です。園田競馬で走っています。
早くに亡くなってしまったので今後はとっぷろ産駒の牝馬が血をつないでいってくれる事を祈っています…。
ベッラレイアの仔ベッラレジーナ(父ネオユニ)は
シルクで平田修厩舎、12月15日の新馬戦でデビュー予定です。




渡辺薫彦
とっぷろ引退後も勝利数を少しずつ伸ばし、重賞を勝つなど活躍。
2012年12月に現役を引退し、現在は沖厩舎で調教助手となり、調教師になるべく勉強中とのことです。


テイエムオペラオー
種牡馬としてはそこまで大成していないものの、テイエムの竹園さんの個性的な持ち馬として父テイエムオペラオーの名が親しまれています。
九州産馬限定レースでは必ずと言っていいほど産駒が出走してきます。
婚約していたテイエムオーシャンとも結ばれ、初年度産駒の名前はテイエムユメノコでした。
代表産駒:
テイエムトッパズレ・タカオセンチュリー・テイエムアタック
テイエムエース・テイエムヨカドーなど


メイショウドトウ
種牡馬成績はいまいちですが……
この前新馬勝ちし、名実況がうまれたバカニシナイデヨは母父がメイショウドトウです。
代表産駒:
シゲルタック・メイショウジンム・ライジングウェーブ・シャインなど


トゥザヴィクトリー
クロフネくんと結ばれましたが、とっぷろと結ばれる事はなく
その後キンカメやボリクリと結ばれ、特にキンカメとの相性が良いようで
トゥザグローリー、トゥザワールドなど活躍馬がいます。
トゥザグローリーは有馬記念出走予定で、トゥザワールドは次走未定ですが来年のクラシックでかなり期待できそうです。


サッカーボーイ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%A4
2006年末、種牡馬シンジケートを解散。以後は社台グループの所有馬として種牡馬生活を続行する。2007年シーズンは社台スタリオンステーション荻伏で種牡馬生活を送ったが、2007年8月25日に生まれ故郷である白老ファームに移動、2008年シーズンからふたたび社台スタリオンステーションにて種牡馬生活を送った。
2011年10月7日、繋養先の社台スタリオンステーションで蹄葉炎のため死亡した。馬齢26歳。
2005年のJRA賞最優秀父内国産馬部門に無効票が2票投じられたが、これは馬名のイメージからハットトリックを本馬の産駒と誤認したものである。

代表産駒:アイポッパーなど
母父として:ツルマルボーイ・マイネルキッツ・チョウサンなど
とっぷろより長く生きていましたが2011年に亡くなってしまいました。
おそらくとっぷろと同じで、後継種牡馬がいないので牝系でつないでいくしかないようです。


フローラルグリーン
とっぷろの引退レースの有馬記念の日の最終レースは3着。
その後1000万下を勝ち、引退。繁殖牝馬となりました。
代表産駒はダノンヨーヨーなど。


アドマイヤベガ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%99%E3%82%AC
引退後は、早来町の社台スタリオンステーションで種牡馬となり、2004年には初年度産駒が走り出し好成績を収めた。しかしその年の10月29日に偶発性胃破裂の為死亡。残した産駒は4世代のみで、2005年産の産駒がラストクロップとなった。2006年にキストゥヘヴンが桜花賞を制し、産駒の平地GI初勝利をあげた。2007年度リーディングサイアーは10位となっている。 障害競走に秀でた産駒も多く、メルシーモンサンが2010年のJ・GI中山グランドジャンプを制すなど、障害においても優秀な産駒を輩出している。

G1馬を多数輩出。
代表産駒:ストーミーカフェ・テイエムドラゴン・キストゥヘヴン
ブルーメンブラット・ニホンピロレガーロ・メルシーモンサンなど


アグネスフライト
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B0%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88
2003年5月に引退し日高スタリオンステーションで種牡馬入りした。
2006年には種付け数が92頭にまで増加したが、種牡馬成績は全弟アグネスタキオンに及ばないどころか、成績自体が全く振るわず、年々種付け頭数は減少していった。アグネスタキオンは2008年JRA総合リーディングサイアーとなり、2009年に死亡したが、その後も血統構成は同じながらアグネスフライトの種牡馬としての需要は伸びず、2010年の種付け数はわずか2頭となっていた。
2011年6月24日をもって日高スタリオンステーションを退厩。種牡馬を引退し、生まれ故郷の社台ファームで余生を過ごすこととなった。

弟と全く同じ血統なのにどうして……。

 
アグネスタキオン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B0%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%AD%E3%82%AA%E3%83%B3
引退後は社台スタリオンステーションで種牡馬となった。初年度産駒のデビューした2005年に中央競馬の夏のローカル開催で複数の産駒が次々と勝利を飾り、
初年度産駒は中央競馬の2歳戦で合計27勝をあげた。最終的にJRAリーディングフレッシュサイアーに輝き、JRA2歳リーディングでも総合2位(地方競馬も含めたランキングでは3位)となった。このような活躍を背景に、2006年の種付け料は前年の500万円から1200万円になった。
ファーストクロップから順調に活躍馬を輩出しておりサンデーサイレンス亡き後のエース格として扱われ2008年にJRA総合リーディングサイアーを獲得。
リーディングサイアーを獲得した翌年2009年も順当に種付けをこなしていたがシーズン終盤の6月22日、繋養先の社台スタリオンステーションで急死した。死因は急性心不全。2010年度の産駒がラストクロップとなる。

産駒が骨折しやすい?という傾向があったものの
弟は種牡馬として大大大成功をおさめました。
代表産駒(G1馬):ロジック・ダイワスカーレット・ディープスカイ
キャプテントゥーレ・リトルアマポーラ・レーヴディソール


ジャングルポケット
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%9D%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88
引退後は社台スタリオンステーションで種牡馬生活に入った。
2003年のシーズンオフからはシャトル種牡馬としてニュージーランドで繋養され、産駒もセリなどで高い評価を受けている。なお、2007年は馬インフルエンザの影響でニュージーランドへの入国が拒否されたため、8月7日に出国しオーストラリアのハリロッジサラブレッズで繋養されることになった。種付料は8800豪ドル(約90万円)。
南半球での産駒は2006年12月13日に初勝利を挙げた。シャトル先のニュージーランドでは、ジャングルロケットが2009年にニュージーランドオークスを制して、産駒が海外重賞およびG1競走初勝利を記録している。
 
レース後に怪我をしていたことがわかり、とぷろと同じくあの有馬記念がラストランとなりました。
こちらも種牡馬として大大大成功をおさめました。
代表産駒(G1馬):ジャガーメイル・クィーンスプマンテ・トールポピー
ジャングルロケット(NZオークス)・トーセンジョーダン・アヴェンチュラ 


マンハッタンカフェ
凱旋門賞で敗れた後、屈腱炎を発症し引退。
2002年のJRA賞では最優秀4歳以上牡馬を受賞。
種牡馬としても大活躍。
G1馬:レッドディザイア・ジョーカプチーノ・ヒルノダムール・グレープブランデー


クロフネ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%95%E3%83%8D#.E7.8F.BE.E5.BD.B9.E5.BC.95.E9.80.80.E5.BE.8C
引退後は社台スタリオンステーションにて種牡馬入り。種牡馬としては初年度の種付け時に性器に異常を起こして種付けを中断するなどのアクシデントがあったが、毎年150頭以上に種付けする人気を獲得。2005年に初年度産駒がデビューすると、早くから地方競馬・中央競馬両方で勝ち上がり、中でもフサイチリシャールが東京スポーツ杯2歳ステークスでJRA重賞初勝利を挙げ、その後朝日杯フューチュリティステークスにも勝利。初年度からGI優勝馬を輩出する好調な出だしとなった。

代表産駒G1馬:フサイチリシャール・スリープレスナイト・カレンチャン・ホエールキャプチャ


ダイワテキサス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%AF%E3%83%86%E3%82%AD%E3%82%B5%E3%82%B9
2002年春からアロースタッドで種牡馬となり、2003年ファーストクロップとなる産駒が誕生した。産駒は2005年にデビューを果たしたものの、中央競馬では3勝をあげたダイワグラムが出た程度で産駒成績は芳しくなく、2007年種牡馬生活を引退し、8月3日にいかっぷホロシリ乗馬クラブに移動して用途変更(乗用馬)となった。


ステイゴールド
種牡馬として大大大成功。
G1馬:マイネルネオス・ドリームジャーニー・ナカヤマフェスタ
オルフェーヴル・ゴールドシップ・フェノーメノ・レッドリヴェール


ブロードアピール
おばさんおばさんとからかわれてましたが産駒はそこそこ走ります。
代表産駒:カイゼリン(父アドマイヤベガ)など


サニーサイドアップ
とぷろへの想いむなしく……結ばれる事はありませんでした。
お母さんとして頑張っています。


メジロロンザン
2003年の春より障害レースに転向し、
なんと2004年の東京オータムジャンプ(J.G3)で見事重賞勝利を飾ります。
引退後は大学の馬術部で乗馬となり、大会にも出場しているようです。

ティコティコタック
繁殖牝馬としてはいまいち……もっと走る子供がいてもおかしくないんですけどね。
サッカーボーイの血をつなげていってほしいですね。


ヒシミラクル
有馬記念では惨敗でしたが、翌年の春の天皇賞と宝塚記念に勝利します。
宝塚記念ではヒシミラクルおじさんの話が話題になりました。
引退後は種牡馬となりますが、2010年で引退し、牧場でのんびり過ごしているようです。


ブルーイレヴン
とぷろ引退の前日、ラジオたんぱ杯2歳S(G3)にて負け、さらにその次の京成杯(G3)では大暴走。
気性難=ブルーイレヴンというイメージがすっかり定着してしまいました。
その後2004年の関屋記念(G3)で勝利し、引退します。
引退後は高校の馬術部に所属し、大会にも出場しているようです。


カッツミー
詳しい事はわかりませんが、とぷろが引退した翌年の春に1戦だけ走って引退してしまったようです。
引退後は乗馬センターで働いているようです。


オンナスキー(ナリタベラクルーズ)
鞍上渡辺騎手でデビューするも中央では勝てず……。ホッカイドウ競馬で2勝しました。



 

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